ハロコンと決意のセクシー

さぁ、体調が回復してきましたよ。
うーん、辛かった。やっぱり健康が一番ですね。普段風邪も引かないバカなだけに、体調を崩した時の耐性の無さったらないわい(笑)


恒例のハロー!プロジェクトコンサート(ハロコン)が始まっていて、エルダークラブ(大人組)・ワンダフルハーツ(子供組)共にセットリストなどチラホラ耳に入ってきております。僕はハロコン全部仕事で行けないので、ネタバレ上等、他サイト様のレポートで楽しむほかは無いのよ(涙)


今年のハロコンでも、他人が他人の歌を歌う通称「カラオケ」が相変わらず盛んみたいですね。もうね、こんだけやられると昔のハロコンの記憶も霞んできてしまって「カラオケでもいいか、パフォーマンスは最高なわけだし」という思考に染まりそうになります。演者が原曲を歌っている人をないがしろにしているわけないし、オリジナルに負けじと最高のパフォーマンスをしてるっていうのに、「カラオケ」の一言で片付けるのも正直嫌になって来た。


まぁ、だからといってこういう状態のコンサートについて思考を停止したわけではなく、これからも考えに考えを重ねていこうと思います。良しとするか否定するかは別として、考えることが一番大事。


僕の中では

  • 単独コンサート→その人とゲストの持ち歌を楽しむ
  • ハロコン→それぞれの代表曲を一通り楽しめる見本市
  • ハロプロパーティー→パーティーらしく演者と選曲の妙を楽しむ

という括りになっているのですが、このうちハロコンハロプロパーティーの境界線が無くなっているのが気になります。


今、現状でハロコンハロプロパーティーを区別するとしたら、短期間・(公演場所・回数が)小規模のコンサートツアーか、長期間・大規模のコンサートツアーかという違いしかないのであります。その他はほぼ同じ形態。この形態のコンサートってそんなに需要あるの?と言いたくもなりますよね(笑)


パーティーはさ、もうその名の通り「パーティー」と割り切って楽しめるとも思うの。余程タブーな選曲をしない限り。だからハロコンの形態がパーティーに酷似してきたら双方の存在意義が薄〜くなっていくと思うのね、ぶっちゃけ。


と、考え出すと新年早々「あああ、どーにかして!」みたいになるのですが、基本今を楽しむ姿勢の僕は、後藤真希の新曲『今にきっと…In My LIFE』を聴いたファンの感触が良さげでとりあえず一安心。僕はまだ未聴ですけど、超楽しみですわー!


と、同時にさっき新聞開いて飛び込んできた広告に凹む。
週刊ポストの新年合併号にごっちんのグラビア。
後藤真希 決意のセクシー』という文句。
主演する松本清張のドラマ『指』のプロモーションを兼ねているんでしょうが、この文句には正直凹む。


そして一瞬後「ごっちんにこんな安い文句つけるなゴルァァァ!!」と激昂しかけましたが、後藤真希という人は強い意志をもって仕事をしている人であることを僕は知っているし、何より「んはは、決意のしぇくしーだってー!」とごっちん本人が笑い飛ばしてそうなので、僕も矛を収めました(笑)もうやめよ、ごっちんを信じてりゃいいのだ。

「当たり前」にならないために。

ごめんなさい、ちょっとさっき上で書いたハロコンの「カラオケコン」について大訂正。
ちょっと肉食獣更新というか右翼みたいな更新というか、激しいので注意。読んで気を悪くされたら申し訳ありません。


あとコンサートの内容について少しネタバレ言及するので注意してくださいませ。
ネタバレ改行。




川‘〜‘)||<ね
川‘〜‘)||<た
川‘〜‘)||<ば
川‘〜‘)||<・・・・・


( ゜皿 ゜)<レダレダレダ!!




他サイト様でチラホラしか見ていなかったハロコンのセットリストの中に、よく見るとワンダフルハーツ組の『スクランブル』が入ってて逆上しました。
「気づくの遅いよ!」ってツッコミも甘んじて受けましょう。自分がライブ行けないから文字面をサラッと流して見てただけで、いまいちピンと来なかったんです。でも「その状況に自分がいたら」と想定して見て初めて感情的に来た。


まずは『スクランブル』から来て、あとはもう全部が全部癇に障って来ました。もちろん『I & YOU & I & YOU & I』も『LOVE涙色』も他人が他人の曲を歌っているの全て。
何で僕はさっきの更新で「話のわかる大人」のフリしてるんだ、バカじゃないかと。書いたことは間違っては無いと思うけれど、ちょっと寛容になってる自分に腹立ちました(笑)


こうやって麻痺していくわけですよ、ファンも、スタッフも。「もういいかな」ってね。
そうなってくると最終的にはどこが麻痺するか。
それは本人たちですよ。歌っている本人たちまで、それが当たり前になっていく。


選曲した人間が「当たり前」になり、受け手である僕らファンも「当たり前」になれば、自然と歌い手も「当たり前」になるんですよ。「当たり前」って怖いね、みんなでゆっくりと麻痺して末には壊死する。危ねぇ、気づいてよかった。諦めたらそこで試合終了だった。


これは僕自身への自戒のためにも書いておきたい。
こういうことに関して寛容になってはダメだ。「今」を楽しむ僕だって、「与えられたものをどうにかして楽しむ」のが得意なハローファンだって、「嫌だ」と思ったならばそこは全力で抵抗すべきであります。


ここはファンが喜んでるのが一番いけない。や、本当に心から喜んでる方ならそれでいいので何も言わないんですけど、少しでも引っかかる方や時間をかけて消化納得した方は喜んではいかん。ハローの皆さんがカワイイから、頑張って歌ってるからって喜んではいかん。喜んで享受することは、確実に自家中毒に拍車をかけることになるのです。


反対にこの流れを止められるのもファンだけです。
彼女たちの歌を愛するなら、製作側に口を酸っぱくして物申した方がいい。ぶっちゃけ、それしかこの流れを止める方法は無いのですよ。


「彼女たちが良ければ、それでいい」「彼女たちが納得しているなら、それを支持したい」。
あー、それは当然の意見です。僕もそう思います。でもさ。
僕らファンの気持ちはどうなるの?と。それもやっぱり大事にしましょうよ。思い入れあるんでしょ?好きなんでしょ?だったら声を大にして物申すべきです。肯定し享受するのも愛ですが、心を鬼にして意見するのも愛であります。
歌っている本人たちだって、ファンの気持ちをちゃんと説明すればわかると思うんです。


なんかさ、どうにかならないかな!どうにもできないのか!!こんなに無力なのか。誰かいい案を教えてくれ。サイリウムの色とか揃えてる場合じゃねえよ。そんな凄いことできるならこっちもどうにかできるんじゃないかな?タンポポの色に染まったサイリウムの数だけの意見が集まれば、あるいは。


暴力的といってもいいほどの乱文で本当に申し訳ないです。
でもこのテーマは2006年のそしてこれからの重要な課題の1つになると思うのです。