なんかおかしい

『ハロ☆プロ パーティ〜!2005 〜松浦亜弥キャプテン公演NEO〜』の長野公演において、なんか一部オカシイ人たちがいたみたいです。極度に行き過ぎた奇行ともいえる応援をしていたってことらしい。


で、それについて批判が集中しているようなんですが、批判はさらに出演者達にも向けられていました。そしてさらにさらにその奇行はこの公演の緩さや隙から生まれたという感想も。


正直、僕には理解しがたいです。何故そうなってしまうのか。


まず行き過ぎた行為をした人たちっていうのは論外で、一生理解できないです。常に自分自分、他人のことは一切考えないていうのはどうなんだホントに。「そういう人たちがいるからハローは成り立っている」「そういう人たちがいるからライブの客席は埋まるし、雰囲気も盛り上がっている」という意見の人もいるかもしれないけど、それとこれとは別です。仮にそうだとしたって、問題点のすり替えです。


また、出演者たちに批判をぶつけている人。これもお門違いの気がします。
よく「ボードに反応した」「奇声に答えた」ってことに対しての批判をよく目にします。新垣さんとか特にね。でも僕は彼女たちの行動がボードや奇声の許容と助長に繋がっているっていう意見はシックリ来ません。だいたい、そういう行為を積極的にしてやろうという考えが根本問題だと思います。


ボードや奇声に対して反応するメンバーに対して「プロ意識がない」「軽い気持ちだ」って言いたい気持ちはわからんでもないですが、それは会社の方が教育すべき問題。本人たちにはきっと嬉しいことですからね。以前舞台に立っていた身として言わせてもらうと、笑いとか驚きとか拍手とか何らかのリアクションもらえるとやっぱり嬉しいんです。それがある程度舞台の進行を妨げるものであったとしても、それを含めて舞台は「生もの」ですからすべて包括して進めていかなければなりません。
ただ、だからこそ客側の場の空気を読む力っていうものは必要だし、会社側も出演者に「あのボードの後ろには見えないお客さんがいるんだよ」「意味のない奇声で歌が聴こえない、集中できない人がいるんだよ」ってことを教育してやることが必要だと思います。


最後に、この公演を含め最近の公演じたいの緩さや隙がこの行為を生んだ原因の1つ、という感想。「昔(最盛期)はこうじゃなかった」という意図が汲み取れて、感想としては懐古的ですね。
言いたいことはわかります。僕もこの公演のようなカラオケコンサート(他人の曲を何も関連性のない人が歌うコンサート)は決して好きではないし、前回と似たような内容ならなおさら。だから「それより先に単独のコンサートが観たい!」という考えは本当に切実な願いだし、まっとう。もう1回コンサートの内容について検討してくれというのは僕も同意見。


ただ、これもちょっと違和感があるんですね。根本原因はやっぱりその行為にあるだろ、って思う。例えば初めてハローのライブに行った人がこの公演を楽しめるか。僕は楽しめると思うんですね。正直、僕が行ったとしても楽しめると思います(仮定の話ですが)。そこにハローのメンバーがいて、見れて、何より歌声を生で聴けるっていうことだけで楽しい。ライブに行ける機会が少ない人っていうのは、そういうもんですよ。それを取っ掛かりにしていつかある単独コンサートに行こうって思えるし。


そういう人たちがいる(いるかもしれない)のに我がもの顔でぶち壊してしまうっていうのは、やっぱりそれ自体が悪いんだと思います。コンサートの内容云々言う前に。


もうちょっとさ、ライブの回数減らしたらどうでしょう。なんか皆さん、たくさん行き過ぎて感覚が麻痺してるような気が。もっと1回1回楽しめるようにしませんか?


あー、こういう文章ヤダねー(笑)気分転換に『3rdステーション』経由で『スイートルームナンバー1』にチェックインするか!