「No Border.」

連日さまざまなサイト様でハロー!プロジェクトコンサートのカラオケ曲目について、感想やレポートなどと共に言及されているのです。


このサイトも例外でなくそのことについて書いたりしているのですが、今回僕はエルダークラブワンダフルハーツどちらも参加出来ていない(しかも観ることは叶わないであろう)ので、ハロコンに対する意見としては「弱い」のでありました(涙)観れないって辛いね!


それに僕はカラオケ形態のコンサートに限らず、全てのコンサートへの参加数自体が少なく完全に「在宅」ぽい。だから僕がカラオケ形態のコンサート等に対して意見を申した場合「現場観ずに机上の空論語るなや、ボケ!」という感情をお持ちになられる方がいらっしゃるかもしれません。もしそう言われてしまったらぐうの音も出ねーのであります(笑)


しかしDVDなどで補完しつつ頑張っておりますし、コンサートにたくさん行かれる方の逆の道を進み、かなり一般人に近い参加回数である僕個人の視点というのは、もしかしたらコンサートにたくさん行かれた方が見えるものとまた違った視点かもしれず、それはそれで貴重かも。少なくともライブパフォーマンス(歌い方や振付や恒例の煽りやお約束など)に対する慣れはほぼ無いに等しいので毎回「行けば新鮮」に感じます。


コンサートに行って本当に毎回思うのは、ハローのメンバーを見て「あ、本当にいるんだ!」って思う(笑)
テレビや写真でしか見たことのない彼女たちが本当に現実に存在して、しかも僕がいつも聴いている歌を歌って踊ってしてるわけです。なんかもうそれがすごい感動するの、毎回毎回バカみたいに。「神様、この世にハローがいてくれてよかったよ!」って感謝してしまう(笑)ちょっと大げさと思われそうだけれども、開演してメンバーが出てくるだけで涙が出そうになるマジっぷり。


だから基本的には、カラオケ形態のコンサートであろうがソロコンサートであろうが合同コンサートだろうが、観れる時点で既に楽しい。楽しくないわけが無い。そして観れた日っていうのはスペシャルな思い出として今も記憶の中にあるわけです。1回の公演が宝物になる。たぶんこれってごく一般的な感想なんでしょうけれども。


そんなスタンスでいるのに、僕がいろいろ物申しているというのは、また別の楽しみを追求しているからなんですね。
基本は楽しんでいるんですけど、そこをあえてもっと良いものを見たい、もっと楽しく、と突き詰めて考えたり分析したり意見言ったり。その行為がまた楽しいのであります。真剣にやればやるほどえらく楽しい。こんなに真剣に楽しませてくれる「ハロー!プロジェクト」ってのはすごい存在なのですよ。


僕がこの場においてハローに関連することに意見や感想を述べている時は、このようなことを大前提として踏まえて読んで頂けると嬉しいです。ネガすぎて梨華みたい(昔の)なこと書いてても基本幸せなの。ハッピー!なの。


そんなこんなで、今日も今日とてカラオケコンについて書きまーす。
気づかぬうちに今年のハロコンで歌われている演目を例えとして挙げてしまうかもしれないので、ネタバレ見たくない人はまたの機会によろしくお願いします。


さて。
他人が他人の曲を歌うカラオケ形態のコンサート、通称「カラオケコン」(この呼び名もう嫌だな)。この1つのライブモデルは、良くも悪くも驚きをもってファンに迎えられています。


では、その「カラオケ」形態の定義は何か。どこからどこまでがカラオケと言えるのか。それは意外と曖昧です。厳密に言えば、モーニング娘。でないメンバーが『LOVEマシーン』を歌ってもカラオケになってしまう。
だから結局、そこらへんの「アリ」か「ナシ」かのボーダーラインは人それぞれ違うわけです。そこは受け手であるファン1人1人の思い入れとのせめぎ合いのなかで決まると思う。


ファン個人のオリジナルへの思い入れ方で「アリ」か「ナシ」か決まるということは、現実にその人がその歌を見て「あ、これダメだ!」と違和感あるいは嫌悪感を抱いた時点で、その人にとってはそこが「アリ」から「ナシ」へボーダーラインを越えるポイントなのであります。
逆に楽曲への個人の思い入れなんかに重点を置かず、常に目の前にあるものを楽しむスタンスの人にとってはずっと「ナシ」にはならない。


こういう精神的で個別的な不確定ボーダーラインがある限り、カラオケ形態のコンサートをファン全員が違和感なく最大公約数的に楽しめる状態にしようというのはどだい無理な話です。アリの人間とナシの人間が一定数いる以上、最大公約数はありえません。


じゃあ、改善すべき点は全く無いか、今が最良の状態かと問うてみると答えは否。
やはり「もうちょっとここをこうしたらまだマシに思える」とか「あそこをああしたらもう少し発信側と受信側の軋轢が軽減されるのになぁ」とかいう意見を出せる余地はあるし、またそれを実行する価値はある、と個人的には思うのですね。


そこらへんを探るために、ここからは、僕が思うボーダーライン・改善点・ただの思いつきその他を包括して、箇条書き+それに対する補足説明という形で整理しながら書き連ねていこうと思います。
皆さんのボーダーラインや意見を明確化する1つのヒントになったりして・・・ってそんなに大それたもんじゃないけどさ(笑)

  • ライブでオリジナルを初披露する前に他人が歌わない

今回のハロコンで言うと『I & YOU & I & YOU & I』や『好きすぎて バカみたい』。オリジナルのメンバーが歌う前に違うメンバー構成で歌われてしまうと、正直「楽曲の価値」というものをそれくらいにしか考えていない製作側の低い意識が透けて見えてしまいます。


ちなみに前者は当時のメンバーで揃えるのは不可能ですが、実際には製作側が過去に自分の首を締めたのであって、はっきりいって実現は可能な範囲だと思います。ここまで楽曲をないがしろにしておいて当時のメンバーで歌わせることをしないのは、製作者側の体裁としてカッコ悪いことになるから(笑)


後者はじゅうぶん揃えられるのに怠っている感じ。DEF.DIVA好きすぎてバカみたいな僕としては大いに憤慨しました。何もオリジナル初披露前に違うメンバーに歌わせなくても、ハロー全員が集合する「全員集GO!」で遅かれ早かれ出来たじゃないの!全くもって意識が低い。


  • (宙に浮いたユニットなど)雑事を片付ける

これはタンポポプッチモニの話。上でも述べましたが、自分たちでぐちゃぐちゃにしておいて自分たちが都合がいいときにだけ持ち出すから熱心なファンに反感を買うのであります。もう活動しないなら今からでも「ごめんなさい」と謝って活動休止宣言をすべき。


  • ライブ活動が限定されているアーティストの曲を使わない

ライブが出来る場が限られているアーティスト(カントリー娘。とかアヤカとか)の曲を他人が歌うのは危険です。そのアーティストがなかなかファンの前で歌えない曲をあっさり他のアーティストが歌えてしまう状態は、そのアーティストのファンにとって辛いし、アーティスト本人たちにとっても「自分たちは軽視されている」という感情を植えつけられるものであります。世間一般の目の前(テレビとか)でアピールする機会だって少ないんだから、せめてハローファンのライブの時くらい歌わせろって。


  • 他人の曲を歌う時にはオリジナルを凌ぐレベルで実現させること

これはアーティスト本人の努力も関係してきますが。僕たちがマイク片手に歌手の歌を歌えば、それはカラオケ。しかし歌手が歌手の歌を歌えばそれは「カバー」になります。松浦亜弥の『渡良瀬橋』、後藤真希の『オリビアを聴きながら』。そのくらいの意識でもってハローの楽曲群も「カバー」すること。


ただし歌の上手さ一点でのみ、では無く、どこかで魅力を感じられれば、それでもいいと思います。1つはその人が歌った良さがオリジナルより感じられることが大原則。ただ「キャワ!」だけとかはナシ。


個人的には、後浦なつみコンサート『トライアングルエナジー』での安倍松浦による『香水』やあやごま『シャイニング 愛しき貴方』などは口あんぐり。上手すぎてカラオケということを忘れる。まさに「カバー」。今回のエルダークラブでも数曲そういうのがあったようですね。


  • キッズには歌わせない

オリジナルを凌ぐとなるとキッズが歌うことは難しいのであります。キッズ好きな方には申し訳ないけれど・・・。穿った視点で見ているわけではなく、オリジナルを歌っているアーティストと年齢差がある場合、単純に若いと表現力が発展途上であることが浮き彫りになるということです。
あとはファンの中での焦点が「カワイイ」という方向のみにだけ行きがちという側面もあります。


  • MCなどでアーティスト個人がその楽曲についての思い入れについて触れてみる

今まではファンの側が勝手にその穴を埋めてきたわけですよ。そして穴が埋めきれなくなったから辛くなってきた部分があるんですね。


そこでアーティストが一言「この曲とっても大好きでよく聴いてます」とか「一番好きな歌です」だとか「以前こうこうこういうことがあってその時にこの曲を・・・」などとエピソードを語れば、かなり円滑に事は進むのではないでしょうか。新たなカップリングさえ生まれる可能性も(笑)ただ毎回毎回それではキツイですけど。


例えを挙げるなら『モーニング娘。ファンクラブツアー in 香港』のライブ。1人1人が自選した曲を歌うということでわりと成立してしまっております。


  • 乱発は避け、特別に用意された場所でのみ歌う

例えばハロプロパーティーのように「パーティー」と割り切って考えられる場ならファンも切り替えが出来るかもしれない。しかしハロプロパーティーハロコン、最悪は単独コンサートでまでもやってしまうのはいただけません。そんなにカバーばっかり聴きたくないよ、と思うのが普通の人間の心理であります。いつもカバーやってたら誰の持ち曲とか曖昧になってきて、常にライブがシャッフルユニット状態になってしまう。


ハロー内カバーコンサートをやるならハロプロパーティー1本に絞り、他ではキッチリそれぞれのアーティストの世界観を出すのが長いスパンで見た活動に繋がるんじゃないかと思います。


  • 単独コンサートより優先されてはいけない

ハロプロパーティーのおかげで、去年はまっつー、今年はごっちんの単独コンサートが半年分消えました。ごっちんは1年通して無い可能性もある。それは勘弁してもらいたい!そこまでしてカバーをやる意義が見出せないのであります。


あとはカントリー娘。ココナッツ娘。のように単独でコンサートが出来ないアーティストたち。彼女たちにはそれこそハロコンでキッチリと見せ場を作ってあげないといけません。他人の歌歌わせている場合にあらず。



だいたい今思いつくのはこんなとこかな。
また思いついたら書きます。


総じて言うとこの問題には、


①製作者側の意識が低い


という点がありますが、その点と大いに関係あるのが


②ファンは製作側に舐められている


という点です。
これは本当に相互作用みたいなもので、辛いカラオケコンを楽しむ対策としてファンが個人偏重主義あるいは「萌え」に走っている動きもある気がします(まぁ、初めからそれだけの人もいますが)。そうやって「あの曲をカワイイあの子が歌ってる!キャワァァ」と喜ぶと製作側は大いなる勘違いをして「需要があるんだ」と思ってしまう。


さらに、たとえファンがそういう方向に走らなくても、黙って耐えて慣れるまで待つとそれも「需要がある」ということになってしまう。だから僕はさんざん「慣れてはいけない」「当たり前になってはいけない」「麻痺することが一番の敵」と言って来ているわけであります。


気に入らない、好きじゃないなら、まず考え、次に発言。それを声として、一意見として発信側(アーティスト含む)に届けてみるのはどうでしょう。
もしくは「もう行かない」っていうのも1つの方法です。ヤフオクでチケットが安いから、メンバーの姿で萌えたいから行くというのは、この場合において全く逆効果をもたらす行為だと言えましょう。


あと、つまんねーヲタ芸で無理矢理盛り上げるのとかも糞です。ヲタ芸できれば楽しいという安易な思考は、アーティストを長期間かけてなぶり殺してるのと同じ。



さぁ、わりと辛口で書いてきましたよ。賛否両論あると思います、あくまで僕個人の視点ですから。
でも読み返すと、今まで書いてきたことは全て「当たり前じゃん、そんなのもうわかってることだよ」ってことが多くて、その事実にちょっと恐怖。こんな普通のことも出来てないのか!!


まだまだ思考は尽きないじゃん?