ガラスのパンプス

complicite2006-06-15



後藤真希さん15枚目のシングルガラスのパンプスオリコンウィークリーチャート7位だったようです。


その他 話題作のチャート発表!ORICON STYLE


まずは嬉しい、そこは素直に喜ぶ。
でも次の瞬間には、その数字の裏では確実にシークレットライブ効果が影響を及ぼしていることに思い至り、凹んだ。購入者数で数えたら10位に入っていない可能性はじゅうぶんあるよね。
ある意味、偽りの数字。


でもね、ごっちん本人も感じてると思う。ていうか、感じてないわけがない。あれだけ自分と自分を取り巻く環境に敏感な人ですもの、「きっとシークレットライブのおかげかなぁ・・・」なんてぼんやり考えていると思います。


だから「次はシークレットライブなしでも!」と思うかもしれないし、シークレットライブは会場に来れなかったファンを含めた自分を支えてくれるファン全てに気持ちを向けるように全力でやるでしょう。本当はみんなに観に来て欲しいはずだからね。


そういう感覚を持っている人だと思う、後藤真希という人は。


7位という数字はもっともっと力強くなるための栄養素。
僕は一ファンとしてそう受け止めてます。



さて発売から1週間経ってしまいましたが、『ガラスのパンプス』の感想を。


皆さんは、歌を聴いている時の自分の頭の中のイメージに意識を向けてみたことがあるでしょうか?
人が歌を聴いている時ってただ楽しんでるように思えるけれど、本当は「歌に刺激されて頭の中でいろいろイメージをしている」と僕はよく思うんです。や、本当はそんなこと考えずに感覚的に楽しく聴くのが一番なんですけど、僕は回りくどくけっこう考えてしまうことが多い。


そんな僕とは逆に「考えたこともない」という人は「イメージしてるけれど、はっきりと細部までそれを意識したことはない」というのが正しいところなのかもしれません。でも意識するかしないかであって、大抵は何らかのイメージを描いているんじゃないのかな?なんて思うわけです。


さぁいきなりぶっ飛んだ話から入りましたが、なぜこんな話をするかというと「歌を聴いている時に思い描くイメージ」がこの曲に対する僕のキーワードになるからです。


歌を聴いている時に思い描くイメージには大きく分けて2種類あって、1つは「歌そのもののから想起されるイメージ」もう1つは「パフォーマンスをしているシーンのイメージ」。


前者は、例えば「歌詞」だったり「曲調」だったり「歌声」だったり、そういう歌をかたち作る要素にイメージを刺激されることです。頭で歌の世界観を構築する。歌に登場する主人公になりきってどっぷりハマる、とか、この気だるい感じの曲調や歌声はアンニュイな午後に最適ね、とかいうのはこの部類に入ると思います。大抵の人がこっちのイメージで曲を聴いているはず。


後者は、その歌を歌っているアーティストがパフォーマンスしている光景を想像してしまうという、そのままのダイレクトイメージ。『天城越え』を聴くと歌っている石川さゆりを思い出す、とか、『Tears in Heaven』を聴くとギター弾きながら歌うエリック・クラプトンが思い浮かぶ、とかそういう類のもの。仮に、ライブの光景やミュージッククリップを観ていなくてもイメージできる場合もじゅうぶんあるのです。


断っておくとこの分類方法ですべてキッチリ分けたいわけではなく、どっちかといえばこっちに針は振れるのかなっていう気持ちで分けてます。人って音楽を聴く時にこの前者と後者を微妙に混ぜながらイメージしていると思うので、そんなに二分は出来ません。ただどっちの傾向が強いかってだけ。


また、どっちの方が良い悪いという優劣をつけるものでもありません。どちらも魅力ある歌だと言える。
一見、歌そのものの世界観をイメージさせる方がパフォーマンスをイメージさせるより優れていると思いがちだし、それは「名曲」と呼ばれますが、名曲はパフォーマンスを含めた歌にだって当てはまります。


歌は人が歌っている「生物」である。
という大前提かつ魅力となる最大の要素があるのです。スタジオでレコーディングされたCDだけでなく、ライブ盤が未だリリースされるのは何故か。それはライブが人の気持ちを惹きつけてやまず、歌を「生物」として見ているからだと思います。


前置きが複雑に、支離滅裂に、そして異常に長くなりましたが(笑)ここからが本題。
ガラスのパンプス』を聴くと、頭の中に「後藤真希のパフォーマンス」のイメージが思い描ける。


そうなんです、前述の分類で見ると圧倒的に後者なんですね、僕にとって。
ライブやPVを先に見たという人は当然そうなるでしょうし、それが原因になっていると考えられますが、それだけじゃない。そういう原因を差し引いて、仮に予備知識なしにこの曲を聴いたとしても、やっぱり後藤真希のパフォーマンスをイメージすると思うんです。


これってけっこうすごいことだよ。
曲聴いたら本人のパフォーマンスが目に浮かぶ。曲=本人なんだよ?それだけごっちんらしい曲、後藤真希を表している曲ということ。


歌声はもちろん、メロディライン、リズム、グルーヴ感、どれをとっても後藤真希らしさを感じることが出来る。説得力があるんですよね、なんか。聴いていると、ごっちんが歌い、そしてダンスする姿が頭から離れないんです。PVで見た振付の細かい部分なんてほぼ思い出せない、それでもなお「こう踊るんじゃないか、いやきっとあんな感じの動きをしているに違いない」なんて、いろいろ思い描ける。


AMラジオの音で聴いた時は正直ピンと来なかったけれど、こうしてCDのクリアな音源で聴くともうバリバリです。すっげー気持ちいいのさ、もう。
あとはもう、実際にライブで見るだけ!って感じです。これを越えるのはライブしかないよ。


曲の世界観を後藤真希の世界観そのままに表現した曲、それがこの『ガラスのパンプス』。