フットサルまだ中間派

勝手にアンテナが上がっていました、何故だ?


さて、ガッタス
もうね、全然予備知識とか無いんですよ。「あ、なんかフットサルやってるな」ごっちんが抜けたことはもう触っちゃダメ」とかくらい。ドキュメントや雑誌なんかはたまたま目にすることがあっても詳しくは見ない。しかもスポーツ観戦したりするのは得意じゃない(相撲と格闘技が少しくらい、しかもテレビ)。脱力しきっちゃってます。


そんな僕がなぜ興味を持ったかというと、やっぱりファン(この場合はサポーター?)の皆さんが熱いから。何そんなに盛り上がってるの?って首を突っ込みたくなっちゃったんですね。オイオイ俺もまぜておくれよ、みたいな。なんかみんなでおもろいことやってるよー、みたいな。


彼女たちがフットサルをやることについては賛否両論あるみたいですが。それはわかる。僕もそれはスフィアリーグのチケット取る前に考えました。やっぱり歌が聴きたい、という素直な気持ちはいつでもあるし。実際、書籍『スピリッツ オブ ガッタス』の広告の煽り文句見たとき「これはねーよな」と思ってしまいましたしね。


梨華ちゃんの『石川梨華が語った「フットサルで見つけた将来の新たな夢」』とか、ミキティの『藤本美貴が語った「ガッタスモーニング娘。の違い」』とかそういうやつ。その文句が彼女たち本心の全てだったら仕方ないけど、フットサルに偏った作り手側という一方向からの視点で、しかも語ったことの一部分だけ抜き出している可能性がある(未読ですので)。そして明らかに「アイドル」という本業と比べようとしている意図が感じられた。


それは商品の売り方としては当然で効果的かもしれないけれど、最も危険な方法でもあります。
あまりガッタスについて関心も知識も無かった僕ですら「危ねえな、コレ」という印象を受けましたもん。きっとそれだけ「フットサルメンバーは真剣なんだ」ってことを書きたかったんじゃないかと思うんですけどもね。作り手のさじ加減一つでイメージが変わるわけですから、危ない橋渡りだな、とも思いました。


しかし、たまによそ様のサイトで見るのは「本業を疎かにしている」「怪我したままコンサートしているし、実際に影響が出ているじゃないか」といった言葉、これに対しては「そんなこたぁねーだろ!」と憤慨していました。ガッタス知らないくせにね(笑)


そう言いたくなる気持ちはわからないでもないですが、そんなわけないじゃん、君たちが応援している最高に素敵な彼女たちはそんな人間なのか?と。挙句の果てには「もうフットサルメンバーはずっとフットサルだけやってろ」みたいな発言。そんな発言をした方はファンを止めることをおススメしますよ。それだけは言っちゃあダメでしょ。


そういう不安や不満や批判が出てしまう原因として、「スポーツと表現の性質の違い」が挙げられると思うんです。
「スポーツ」というものの性質上「わかりやすい」んですよ。勝ち負けハッキリしてるし、語る場合もハッキリと語れるし、その語る場だって用意しやすい。反対に本業の歌手の方では「表現」というものの性質上「わかりにくい」。結果が見えにくいし、語ることもすごく内面的なことになるから漠然とした表現になっていく。試合やリーグといった明確な結果の出る区切りもないから、語る場も用意しにくい。


結局、「運動部と文化部」みたいなところに行き着くわけで、そこはもうフィジカルとメンタルそのものなんだと思います。そしてその性質の違いから、こちら側に届いてくる本業とフットサルの情報のバランスが悪くなって、「本業はどうした」「本業はどうなるんだ」って不安を感じる人が出てくる。


既にいろいろなサイト様で語りつくされていますけど、全くの傍観者であった僕も傍から見ててそう分析しました。まあ知らないくせにゴタゴタ抜かすなって思われるかもしれないんですけど(笑)まだ踏み込んでないからこそ見えることもありますぜ。なんてな。


それと、ガッタスと『スピリッツ オブ ガッタス』についてもやもや感を持っておられる方は、曖昧ミーMINDな立場の僕が分析した文章を読むより『もうこれ以上。』さんの11月25日付の更新と『梨華しちゃいました!』さんの11月29日付の更新を読む方が断然いいです。わかりやすいし、妥協なき姿勢で書かれた2つの視点があります。


僕はこの通り、まだ賛成派否定派どちらにもなれませんけど、とりあえず観に行きたいと思いました。観ればわかると思う。そして『スピリッツ オブ ガッタス』も読む。


完全に遅れてますがね!マイペースなんだよッ!マイペースなごっちんが好きだから!(こんなとこで告白だよ)